
提供:岡山県
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沖新田
(写真は児島湖周辺)
1692年1月着工、1692年7月完成
責任者
津田永忠
干拓面積
1918ha
津田永忠と沖新田の干拓 |
岡山県の干拓地である沖新田。
このエリア内には、幾つも数字を含む地名が見られます。
○番用水、○番川、そして三蟠に九蟠…。こうした地名は全て沖新田の開拓の際に由来します。
江戸時代へ入り、社会が安定してきていた17世紀当時、日本の各国では干拓による地域開発が盛んに行われていました。
沖新田もそうした干拓の一つで、池田綱政が土木建設の天才とも言われた津田永忠へ開発を命じて実現したプロジェクトです。
干拓面積が1918haという圧倒的な規模にもかかわらず、半年ほどで完成という非常にすばやく行われたその秘密こそが、これらの地名の由来なのです。
津田永忠は工事現場(当時の言葉で丁場)を九つに分けることで、それぞれの競争意識を高め、大規模なこの干拓を非常に短期間で終わらせてみせたのです。
上記の数字を含む地名というのは、当時に仕分けられていたそれぞれの工事現場の番号に由来しています。また、五番、六番、七番、外七番の地域、現在の光津、政津、君津、升田といった地名は、藩主である池田光政の光政、干拓の責任者である津田永忠の津田という名前から取られていると言われています。
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