| 杉並病 |
| 杉並病という言葉がマスコミを賑わせていた頃…化学物質過敏症という言葉は社会問題として、そして新世紀の「公害」として多くの人々に認識されるに至りました。 杉並病は化学物質過敏症の抱える様々な問題を提示していました。そして、今でも残された傷跡は人々を傷つけ続けているのです。杉並病を過去の事例として扱ってはいけない。人々が杉並病を通して得た経験はこれからの時代にこそ活かされていかなければならないのだから…。 では、杉並病について詳細を解説していきます。 杉並病という言葉が示しているように、この一連の事件の舞台は東京都杉並区です。 1996年、東京都杉並区井草を中心に周囲の住宅街で人々の間に原因不明の身体、喉、頭、目などの痛みを訴える人が増えてきた…これが後に杉並病と呼ばれる症状の始まりでした。それから後に動植物への影響、同様の症状を訴える人の範囲の拡大なども見られるようになり、「何らかの原因」の存在に問題の焦点が集まるようになっていったのです。 しかし、その「何らかの原因」がなかなか特定できなかったのです。色々な物に対して疑惑の目が向けられては否定され、そして最後に疑惑の目が向けられたのは東京都清掃局・杉並中継所だったのです。 この「中継所」というのは、コスト削減と能率アップのために小さなトラックから大型のトラックへゴミを載せ換える為の場所です。 しかし、度重なる調査が行われてもこの施設から出ている化学物質の量はどれも基準値を下回っていた為に、操業は「中継所が出来る限りの対応」をした上で続けられました。 しかし、周辺住民への影響は目に見える数値となって現れ(視力低下など)、住民グループによる活動は続けられ、住民アンケート等でも中継所が原因である、という事への相関関係が認められ、そして最初の発症から3年もの月日が経過した1999年の9月に区が中継所との相関関係を認め、半年後の2000年3月には東京都の調査委員会が中継所の汚水から発生した硫化水素等が原因であるとする報告書を都に提出しました。(注) ここまでで、一定の過失を都が認めたということで、一つの解決を見たといえますが、事件の解決は最初の発症から4年もの月日が経過した後でした。 その間に重度の化学物質過敏症(MCS)になって引越しをせざるをえなかった人や、恐らく死期を早めてしまった人もいるでしょう。また、杉並病の補償の対象となった人々の発症時期が限られているなど、行政の対応も万全であるとは言い難い所があります。 このように化学物質過敏症は原因の特定・立証が難しいために、その原因を取り除くまでの間ずっと人々は化学物質に晒されていなければならないという問題を孕んでいます。 また、杉並中継所はゴミを扱っている施設としては匂い漏れなども殆ど無く、恐らくパッと見ただけなら「優秀な施設である」といえる施設であったという事もこのように事態を長期化させた原因の一つであると考えられます。 この杉並病の事件を通して人々の化学物質過敏症への意識が高まったのは事実です。しかし未だに杉並病の事例のように人々の認識の弱さによって、被害をこうむっている人・知らず知らずのうちに加害者になっている人がいます。 杉並病が投げ掛けたメッセージは、化学物質が増え続けている現代にとって「過去」という範疇に片付けてしまうにはまだ早すぎるのです。第二、第三の杉並病が起こる可能性は非常に高く…今もどこかで起こっているのかもしれません。 |