旧暦-江戸の一年-

 江戸時代は旧暦でした。
 現在では旧暦という存在そのものが余り知られていないので、簡単に説明しておきます。
 まず、日本における旧暦というのは「太陰暦」であると思っている人も多いようですが、正確には中国から持ち込まれた「太陽太陰暦」と呼ばれる暦で、農業を営むのに適した暦だったので、現在でも農業を産業の中心とする地域では旧暦での正月、いわゆる「旧正月」を祝います。

 「太陽太陰暦」というのは、月で日付を決めて、太陽で年月を決めるというものです。
 月が出てきて満月になって、やがて消えていく…という周期で一ヶ月が過ぎて行きます。
 なので、月初めに月が見えてきて、15日には満月になり、月末には新月(月が見えない)という周期が守られています。。
 しかしその月の周期が二つ不都合を生じさせます。
 まず第一に月の周期が29日と半日分くらいあるので、一ヶ月が29日の月と30日の月が出てきます。そこまでは現在でも30日と31日が混在しているので同じですが、江戸時代の場合この日付の違い…29日を小、30日を大として分けるのに、定まった月が存在しないので、ややこしくなります。
 第二の問題は「閏う月」が生じます。
 地球が一周するのにかかるのが約365日。ここから一年は365日という事になりましたが、正確に365日ではないので、四年に一度調整の為に二月に閏う年として一日を余計に加算します。
 月を暦の中心に置くと、太陽の移動との間に、一年で約十一日のずれが出来ます。そこで、太陽の動きと暦が異ならないように閏う月を作って調整します。その周期は現在の閏う年よりも短く、19年に7回という頻度です。

 ところで月の大小も不規則ですが、閏う月も19年に7回。割り切れない数字です。
 なので、そうした詳細を記しておくものが江戸での生活では必需品とされました。それが「暦」と呼ばれる、その名ずばりの物です。
 今で言うカレンダーよりも少し詳しい類のもので、その年の月の構成(大小、閏う月など)の他に、その年の干支や方角の吉凶についてもあったそうです。現在のカレンダーと同じく、簡易的なものは無料で配布されたり、飾っても美しいものを販売していたりと、色々とあったそうです。ここら辺は現在人のカレンダーと余り違いはありませんね。

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