江戸時代の時間。時代劇等で耳にする時間は、現在使われている言葉とは全く違うので、なんだか漢字テストの暗唱でも聞いているような気になるのかもしれませんが、現在でもその名残は幾つか残っています。
幽霊が出やすい時間とされる「丑三つ時(ウシミツドキ)」や、間食を食べるのに適した時間で「お八つ(オヤツ)」というのも、江戸時代の頃に使われていた時間の名残です。
これらについては順次解説していきますが、まずは基本から説明します。
時間のルールには大きく二つの時間があります。
一つは現在の日本も採用している「定時法」です。
これは一年を通して時間が固定された状態のものです。
もう一つは「不定時法」です。
これは一年を通して時間が変動するもので、現在でも複数の国家が省エネの為に採用しているサマータイムなどが不定時法の代表例です。サマータイムは夏は朝早くから日が高いので、普段より早く寝て、早起きをするということによって、余分な電力消費を削減するというものです。
江戸時代の時間の流れは、現在とは違い「不定時法」を採用していました。
理由は幾つかありますが、主だった理由としては時計が普及していなかったという事があります。今や100円ショップで各種時計が販売されている時代ですが、この時代に時計は庶民が常備するものではありませんでした。
その為に、太陽の位置で時間が測定できるような「不定時法」が一番有効な手段でした。
なので、この時代の「不定時法」は、「夏だから一時間、時計を進めましょう」といった簡易なものではなく、季節ごとに著しく時間が変化していきます。
つまり季節ごとの日の出、日の入りに合わせて時間を変化させていたのです。
正確に見れば、太陽は毎日ずっと動き続けているので、時間も毎日変化していく事になりますが、さすがにそれでは混乱してしまうので、一年を二十四等分して、その回数分だけ時間を変化させていました。
その二十四にわけたそれぞれの区分の日を「二十四節気」と呼び、現在でも立春、夏至、秋分、大寒など、季節の節目として良く知られている言葉がそれにあたります。
さて、時間の主要な話に移ると、時間を表現するのに使われた表現は二つです。
一つは現在の日本と同じく数字による表記で、もう一つは十二支による表記です。
単位はどちらも「刻」で、一刻は二時間に相当します。
十二支による表記はそのまま子、丑、寅…と続いていきますが、数字による表記は九から始まり、カウントダウンしていき、四の刻になると、また九に戻ります(江戸の時計、画像はコチラをクリック)。午前と午後の区別は明と暮の六つの刻です。
では、冒頭で触れていたお八つと丑三つ時について解説します。
お八つというのは、八の刻を指す言葉で、現在では三時に食べるものとされていますが、正確には八の刻は深夜と昼の一時から三時までの二時間を指す言葉です。
丑三つ時というのは「丑の刻を四つに分けた内の三番目の時間」という意味です。ちなみに現在でも良く使われるお八つと丑三つ時なのですが、八の刻と深夜の丑の刻というのは同じ時間を指します。丑の刻を数字で表記すると八つの刻です;
さて、「三つ時」を計算すると、120分÷3/4=90分なので、丑の刻が始まる一時から一時間半後、二時半が丑三つ時です。当時は照明も余り明るくありませんでしたし、恐らく殆どの人々が寝静まっている時間帯でしょう。
恐らく江戸の町も本当に幽霊が出てきそうな静けさだったのでしょう。
さて、太陽で時間を決めるとは言っても、それほど正確ではありません。
そこで、人々が基準としたのが鐘です。一刻起きにきちんとその時間分の鐘をついて、時報を知らせていました。
日本橋に今も保存されている時の鐘が最初で、現在でも時報に使われる「ぴ、ぴ、ぴ、ぽーん」という時報の前のカウントダウンのようなものも、「捨て鐘」として、当時から三つきちんと鳴らされていました。
また、それぞれの時間によって鳴らし方の特徴(テンポ)を変えることによって、聞き落とした人でも、鐘の数以外で判別できるようになっていたそうで、時計が無いからといっても、時間の感覚をきちんと持って生活していたようです。。
ただ、どれだけ正確に時間を判別しても30分単位での判別になってしまうので、人との待ち合わせ等は大変だったであろうと想像されます。
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