現代人の感覚では、一般的に江戸時代には米を食べるなんて庶民には年に数回の贅沢だったというように認識されています。実際に地方ではそれほど米が食べられたという事でもないようですが、江戸の町においては米は主食として庶民の間にも普及していました。
これは江戸が首都であるという事にも関係していると考えられています。
武士は米を食べているので、同じ都市に住んでいる江戸の町民も、必然的に米を食べるようになったのでしょう。地方から江戸へ出てくる人の中には白米が食べられる生活への憧れを抱くものも少なく無かったといわれています。
米が主食として定着しているという事以外にも、この時代には一日三食という現在の食事の基本が構成されるようになってきているので、江戸の町の一日の食事というのは、幾分か精進料理のように見える事と、洋風の物が無い事を除けば、現在の食事と大して違いがありません。ちなみに「三白」と呼ばれる代表的な食材があります。
それは米、大根、豆腐です。この三食品は一日の食事にかなりの頻度で登場しています。
では、その一日の三食を詳しく見てみましょう。
シンプルに済まされる朝食は特に現在のそれと酷似しており、ご飯にお味噌汁、そしてお漬物といったものを食べています。これくらいだったら、現在の日本でも「あ、俺の朝食と同じだ」という人も居ることでしょう。
昼食は、家に居る人は朝食の残り等を軽く食べて、外に居る人は屋台などで軽くつまんで食べる程度です。ここら辺の食事も、現在の感覚と大差はないです。
強いて言えば、現在ほどしっかりと昼食を食べるという感じではなく、間食に近い感じだったようです。
夕食はご飯とお味噌汁におかずが二〜三品。
一日に「何項目を採る事が健康に良い…」という考えがこの時代にあるわけでもなく、庶民の生活にそれほどの贅沢を持ち込む余裕があるわけでもなく、質素といえば質素な夕飯といえるでしょう。おかずの数はその日の儲け次第で左右される事もあったようです。
ただ品目は少なくても、保存する技術自体が発達していないために、おかずは振りウリからその日に取れたものを購入、調理していたので、現在人よりもずっと新鮮なものを食べていました。
食事といえばこの時代は米を食べる事が多い割りに、他のおかずが乏しいという事もあってビタミンB1不足によって「脚気」という病気が多かったことで知られています。「椅子に座った状態で膝の関節の辺りを叩いて、足が上がると大丈夫。」という検査方法がありますが、それで調べられる病気が脚気です。
しかし、その一方で過度の摂取による病気も殆ど無いので、どちらの時代が健康により良いとは一概には言えません。
ところでこの時代の食卓は、一人一人が小さな膳の上で食事をする様式でした。
この時代にはまだ家族でテーブルを囲んで食事という習慣は無かったのです。 |