江戸の食事-塩-

 戦国の時代において塩の確保は非常に大切でした。特に不安定な時代においては塩は一種の軍需的な要素も含んでいました。有名な敵に塩を送るという言葉もこうした時代背景から来ています。
 江戸幕府を開いた徳川家康にとっても、それは重大な課題でした。
 江戸初期の塩の供給源は江戸からも近く、伝統のある塩の山地である「行徳」でした。開府すると真っ先に行徳からの塩の輸送ルートの確保、そして塩田の開発を推進する為に免役をしたり、資金の貸付などを行いました。

 後に時代が安定し、また物流がスムーズに行われるようになると、瀬戸内からの塩が入ってくるようになり、こちらの方が安価であったということで、やがて江戸の主な塩の産地として瀬戸内が知られるようになりました。
 ちなみに、瀬戸内の塩の産地として有名だったのが、忠臣蔵事件で知られる「赤穂」(現在の兵庫県赤穂市)でした。こうした塩は「下り塩」と呼ばれ、愛好されました。

 忠臣蔵事件勃発の原因として塩の採取技術が上げられていると言う事からも、当時の塩の貴重さが伝わってきますが、当時の塩は現在と同様に調味料としても大切でしたが、保存技術の発展していない時代において、塩は食料を保存しておく為の道具としても重要視されていました。
 現在でも塩の成分を利用した歯磨き粉が発売されていますが、江戸時代における歯磨き粉はまさしく塩だったので、現在よりも広域に庶民生活に浸透した物であったといえるでしょう。

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