寺子屋

 歴史の授業で現在の学校制度の始まりのような形で勉強するのが「寺子屋」ですが、江戸に限ってみてみると、寺子屋という名称は使わず、「手習い」や「手習い師匠」といった呼び名だったそうです。ちなみに寺子屋という名称は寺院が教育を行なっていた名残だそうです。
 学校制度の始まりであるといえますが、寺子屋は個人経営により成り立っているので現在風に言えば私立でした。政府の関与は全くなかったので、義務教育でもありません。しかし、江戸の中心部では就学率は男女揃って90%を越えていたので、勉強に行くのが普通であったと考えても良いでしょう。

 寺子屋における就学率が識字率を判別される事に良く用いられるように、寺子屋の共通した目的というのは「文字の読解」にあったようです。その為、政府の関与は無いけれど、全国で共通して使われていた教科書というのは存在します。
 同じ目的があるので、使う教科書も大体同じになるという事です。その他にそれぞれの寺子屋の教師が好きに用いる教科書があり、子供の親はそういった部分から、自分の子供に学んで欲しい事に最も近い教育をしている寺子屋を選んで入学させていました。
 教育方法は個人主義で、それぞれのペースでそれぞれが学びたい事にあわせた教育がなされていたようです。なので、同じ寺子屋で同じ期間を過ごしても、全員が同じ教育を受けているとは限りません。とりあえず、文字の読解と将来に就く職業が明確ならその職の専門用語、それに数学を勉強しています。
 修学期間も政府が関与していないので、定められた期間はありません。ただ平均して五年前後くらいで、大体今の小学生くらいの期間になるので、この時代に生まれていれば勉強しなくて済んだということはありませんでした。

 気になる授業料ですが、私立でありながら基本的には「非営利」でした。中には寺子屋運営を収入にして、そこそこの金額を取る場合もあったようですが、寺子屋の側から金銭が要求されるというシステムではなく、その寺子屋や地域などに相場があり、それに従いつつ、それぞれの経済事情に合わせて支払うというのが普通です。
 ただし、非営利なので必要な勉強の用具は生徒の側で用意しなければならず、机も用意しなければなりませんでした。

 寺子屋の休日は原則として月に三日。そこにプラスして数日の休暇、それに正月の長期休暇がありましたが、意外と言っては失礼かもしれませんが、現在のゆとり教育よりも学んでいたようです。

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