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『心
中』
江戸時代は自由な恋愛のイメージよりも、許婚や家を重視した政略的な意味もある結婚といったイメージのほうが強いのかもしれません。
確かにそれは江戸時代における一つの形であったのですが、地位のある武士の世界や、庶民であってもお金を持っている人や、少し上の身分の人の話です。 その日暮らしが中心の江戸の一般町民が家の格式にそれほどこだわる必要もなく、許婚を決めておく習慣が根付いていたとは考えにくいですね。 一方で江戸ではなんと心中が多発して社会問題になっていました。 高い身分の人たちが前述のような許婚や家重視の婚姻を必ずしも何の異論も無く結婚していたというものではありませんでした。 いつの時代も恋愛は人を狂わせるのでしょうか。 上(親など)から押し付けられる婚姻と、意中の相手とのどちらを選ぶ事も出来なかった人々は心中という選択肢を選ばざるを得なかったのです ここら辺は江戸という時代における縦型の社会構造が災いしてしまったという事でしょう。身分違いの恋であったり、許婚がいるのに他の人を思ったり、はた またどうしても断る事の出来ない身分の人からの縁談と自分の意志とに挟まれて…といった具合に、心中が多発したそうです。 その心中が社会問題へと至る段階には、今でも有名な作品である近松門左衛門の『曽根崎心中』の好評、更に瓦版などで知らされた心中の持つ悲劇性や反社会 性といったものが人々から共感を獲得して言った…といった経緯があります。 そこで幕府は江戸中期に心中に対して規制を行ないます。 まず庶民の情報網であった瓦版で心中を取り扱う事を禁止し、その翌年には心中そのものを禁止し、刑罰を作って心中事件の抑制にかかっています。 その心中に対する刑罰というのが、意外と重たいのです。 例えば心中で一方のみが生き残ってしまうと、打ち首です。 現在でも心中をして一方が生き残ると殺人罪などに問われる事はありますが、なかなか厳しい罰を与えています。幕府としては心中によって与えられる社会的 な部分を重視していたので、打ち首も当然なのでしょう。 その他に心中が成功…というのも変ですが、双方が他界してしまった場合でも、死体は晒し者にされ、逆に双方が生き残った場合には江戸の住民としての戸籍 を抹消され、非人の扱いを受ける事になってしまうのです。 今はこうして自由恋愛の時代になったので、心中という言葉も段々と耳慣れない言葉になってきましたが、そういう時代もあったと言うことです。 |
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