『犬公方』こと徳川五代将軍綱吉。
治世が個性的だったので、人気では劣るにせよ知名度の高さでは抜群の将軍です。
生類憐みの令によって庶民よりも犬を初めとする動物を重視した政策はインパクトが強かったですね。それだけに留まらず、この綱吉というのは日本人なら誰でも知っている舞台の裏側に居る人物です。
まず一つは水戸黄門。
別項でも触れている水戸の光圀が各地の悪政を成敗して歩いたという物語で小説やドラマになっています。この光圀が全国を回っていた時期というのが綱吉の時代です。これは意外と知られていないのかもしれないですけど、小説では生類憐みの令についての記述がされている場合もあります。
もう一つあります。日本最大のノンフィクションとして名高い忠臣蔵です。
これは大切な儀式がある日に赤穂の浅野家の藩主、内匠頭が吉良上野介を切りつけ、理不尽な裁決により内匠頭は切腹、浅野家は取り潰しになってしまった事に対して、浅野家の武士たちが当時の常識であった「喧嘩両成敗」に則り、吉良上野介を討ち、浅野家への忠義を果たし自分達もやがて切腹をする…と、こういう物語です。
この時に浅野内匠頭に切腹を申し渡した本人が綱吉でした。
後者の忠臣蔵の中には綱吉の人となりを知るのに重要な幾つかの単語が含まれて居ます。
一つは「取り潰し」です。綱吉の時代というのは非常に家のとりつぶしが多い時代でした。徳川幕府においては綱吉の時代というのは一つの政界再編の時期だったといえるでしょう。もしも時の天下人が綱吉でなければ忠臣蔵のような事件も起きなかったかもしれません。
もう一つは「忠義」という言葉です。綱吉というのは非常に忠孝を大切にする人で、彼が着任後に武家諸法度を改正したのですが、武士が日々取り組むべきものが「文武弓馬」から「文武忠孝」に変えてます。
なので忠臣蔵の事件を聞いた際に、綱吉には赤穂の武士(浪士)を無罪放免にする考えもあったとも伝えられています。
結果は周囲へのけじめのようなものもあり、切腹という武士にとって面子を保てる形での死刑という事になりましたが、綱吉という人物はなかなか人情に厚いタイプの人間だったようです。
そもそも生類憐みの令というのも、当初は悪法ではなかったのです。
段々と強く強く取り締まられていった為に、最終的には江戸を代表する悪法となりましたが、その中の一条には「捨て子がいてもすぐに奉行所に届けたりしなくて良いから、誰か希望者がいれば養育してやれぃ」といった条文もあるので、なかなかです。そもそもは人々に慈悲の心を呼びかける法令だったのです。
それが段々と綱吉に子供が出来ないのは先祖が動物に悪い事をしたからだという占い師の言葉や、綱吉の干支が戌であるということで犬の保護が極端になっていったということで、なんと数万の野犬を江戸の中に特設された犬小屋で庶民に養育させていたそうです。
綱吉の政治は何をするにしても、少し行き過ぎている部分が目立ち、悪い評価を受けているのですが、バランスさえ取れていれば…と、思うところはあります。詳しく調べていけば行くほど、呆れる一方で憎みきれない一面があるのも事実でしょう。
ただ、悪政ばかりではないです。江戸時代でも最も華やかな文化を誇った時代の将軍として、綱吉を名将として称える人もいます。
また、綱吉の時代に日本に来た外国人の方も綱吉を誉めたといわれています。
この理由として、時代が安定していた事が挙げられます。幕府が成立して一世紀ほどが過ぎ、戦乱の時代の名残も消え始めていて、また綱吉はそれまでの「米に依存した経済」へ、商業の重要性を持ち込み、時代を安定させていました。 |