一般に新撰組は彼らが居た為に倒幕が一年遅れたといわれていますが、一方で明治維新に尽力した人物が坂本竜馬です。土佐藩を脱藩し、権力の枠を飛び越えて様々に活躍した人物として知られています。
また、「海援隊」の隊長も彼が勤めていました。
海援隊とはそもそも「亀山社中」と呼ばれ、長崎の亀山の地から発祥した隊で、船舶を運用したビジネスから、海軍的な役割までを果たしました。下関海戦では立派に戦績も残しています。
しかし、1867年…まさに時代がひっくり返るその年に彼は暗殺されてしまいました。僅か三十二年の短い生涯に幕を閉じてしまいます。
竜馬という人物の評価は自由人というイメージが強いようです。確かに身分の壁を越えた人脈を持ち、並の身分の人間では会う事も出来ないような人物が、坂本竜馬とは面会していたという事もありました。
ただし、彼の存命中や死後暫くの間、その評価は「勝海舟の弟子の一人」という評価が高かったようです。海援隊も坂本竜馬を筆頭に勝海舟へ関連する人物が多かったので、この評価はあながち過小評価というわけでは無いようです。
当の勝海舟は坂本竜馬を非常に高く評価しており、明治維新の一番の功労者は坂本竜馬であると公言していましたが、やはり知名度は勝海舟の方が圧倒的に高く、坂本竜馬は知名度も低かった為に、当時を詳細に記した資料も余り残っていません。
しかし、その彼の知名度を一気に上げる出来事がその死後に起こります。
日露戦争時に当時の皇后の夢に出てきた坂本竜馬が、海軍への協力を確約したと言うのです。これは明治維新に協力しながらも、政治の中核部へ置かれなかった竜馬と近かった人物のパフォーマンスであったという説が事実のようですが、この出来事で坂本竜馬という「勝海舟の弟子の一人」が、明治維新の最大の功労者の一人としてその名を世間に知らしめたのは間違いありません。
その後、司馬遼太郎氏の小説「竜馬が行く!」の大ヒットにより、現在では歴史上の人物の中でもトップを争うような人気と知名度を獲得するに至っています。
ところで、彼の実像は才能よりも人柄の方が強く伝わってきています。勉強は今ひとつで、剣道は北辰一刀流免許皆伝であるものの、それほど腕が立ったというわけでもないといわれていますが、時代を先取りする感性やその求心力は、当時としては型破りともいえる人物でした。
そのカリスマを失った海援隊は竜馬の死後に分裂、解散してしまったのは1868年の事でした。薩長同盟の締結にも貢献した坂本竜馬率いる海援隊ですが、彼の遺志を継いで活動していくことは出来ませんでした。
最後に一つ、坂本竜馬についての有名なエピソードを一つ。
それは、彼は暗殺されずに激動の時代を生き抜いたといわれるものです。別の人物として活動したとも、日本という枠さえも飛び越え、別の国へ飛び出して活躍したとも言われています。
詳細なデータが残らなかった故に、坂本竜馬は今でも多くの人々の心の中で自由に駆け回っているようです。 |