紳士録-大石内蔵助良雄-
有名な人から無名な人まで、全員取り揃えてみました。

 理想の上司をアンケート調査すると、必ず上位に食い込んでくるのが大石内蔵助です。
 元禄時代に起きた忠臣蔵事件の中心人物で、赤穂藩の国家老でした。父親が早くに死んだ為に、祖父の養子になるという変則的な形で19歳の若さで1500石の国家老になりました。
 普段の彼は「昼行灯」と呼ばれて、余り周囲から高く評価されていない人物だったようですが、一流の教育者に文武を学んだエリートです。
 一説には山鹿素行から兵学を学んだと言われていますが、その真偽は不明です。

 彼の人生は浅野家の殿様が吉良上野介を殿中で切りつけるという大事件によって、浅野家が断絶されてしまう事で大きく変化しますが、この人自身、以前に備中松山藩の改易を上手くやるということで高い評価を受けたことがあります。
 その人物が自らの藩も潔く無血で明け渡したというのはなかなか皮肉な運命です。
 ところで忠臣蔵の事件というのは生類憐みの令で有名な徳川綱吉の時代に起きたのですが、明け渡しの際の報告書の中に城内にいた犬の数まで数えて報告してありました。
 そうした皮肉を交えた部分だけではなく、藩札というお金の代わりになるものがあるのですが、藩が消滅してしまうとその価値もなくなってしまう恐れがあったので、それを原価は割るものの、庶民に最低限の保障をして混乱を避け、更に家臣では財産の多いものよりも少ないものに分配を多くするなどして、赤穂の城の明け渡しは稀に見るほど順調に進められたと言われています。

 事件発生後、不公平な裁定(当時は喧嘩両成敗が原則)によって浅野家のみが罰されるという事に対して吉良を討つことで、それを正すべきであるという人々の声を巧みに抑えながら、最後まで浅野家の再興を訴え続けていました。
 それが駄目になり、裁定を正すための最後の手段として吉良上野介を討つわけですが、最終的に義理などで参加する者が無いよう、そして自分を信頼してくれる者のみを集め、47人という少数精鋭で決行するという人の掌握術など、色々な面が現在の理想の上司像に繋がっているようです。

 また、この人の行動には理由が見えにくい行動が数多く残されています。吉良家への討ち入り前に女遊びに没頭していた…というのもその一つで、討ち入りを懸念している人々を煙に巻くためだとか、色々と推測が飛び交っています。
 そうした様々な推測が入れられる部分、そして目に見えて立派な人物であるという事実、それらが揃って忠臣蔵という事件とその中心に居た大石内蔵助の人気を高めたのでしょう。そこに綱吉という将軍に対する不満があった事も事実ですが…。
 さて、その人気の証拠として忠臣蔵が芝居として演じられたのは赤穂浪士が切腹してから一ヶ月も経たない間だったといわれます。その間、演じられては幕府に禁止され…という期間を経て、50年後にはそうした芝居の総決算として現在でも演じ継がれる『仮名手本忠臣蔵』となりました。
 ちなみに現在テレビや詳説などのメディアで知られる忠臣蔵というのは大抵がこの仮名手本忠臣蔵から来ています。なので、ところどころ史実と違う芝居がかったものが挟み込まれていたりします。

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