江戸という、同時代の世界を見回しても他に例が無いような巨大かつ平和な都市を築き上げたのが、この徳川家康。
ただ、この人は歴史上の人物の中では、業績の割りに余り人気が無いということが様々なアンケート調査などでよく取り沙汰されています。
豊臣秀吉が死期が迫る中で、自分の息子の事を宜しく頼むと言っていたのを無視して、天下を取り、豊臣家を滅ぼしたという一連の流れがその不人気の原因かもしれませんが、この人の手腕というのは確かに高く、家康がその地をあてがわれた当時には、殆ど無の状態に近かった江戸を立て直して、現在に至るまで首都として通用する形を整えました。
彼の人生はまさに波乱です。
当時の権力者にはありがちなことだったのですが、今川家の人質として八歳から十九歳までという長期を過ごしています。この時期の経験からの性格形成と言うのが、後に豊臣を裏切るという彼の行動にも影響しているとも言われています。
とにかく、青春時代に影の多い人です。
その家康はテンプラの食べすぎで死んだといわれています。
真偽はともかくとして、実際に彼はテンプラを好んでおり、特に鯛のテンプラが好みだったようで、家康が新鮮な魚を食べられるようにという目的で江戸前の漁業は始まりました。
家康と並べて語られる他の権力者の中では、明智光秀に裏切られての死だった織田信長や、世襲制の形を整える事が出来ないまま、息子の行く末を心配しながら死んでいった豊臣秀吉と比べると、テンプラを食べ過ぎて体調を崩しての死…というのも、なんだか平和なもんだなと感じます。
テンプラはともかく、彼は死ぬ前に自分を神格化するための作業を進めてました。
徳川家康という人物は人々の人気を集めるには余りにも計算高すぎたのかもしれません。
ちなみに家康は自分が死ぬ前に将軍職からは退き、後任にきちんと自分の息子である秀忠を指名しています。
秀吉も自分が死ぬ前に将軍職を務められる年齢の子供が居ればよかったのですが、彼の子供は余りにも幼すぎました。もっと早く子供が生まれていれば…或いは、ずっと子供が生まれていなければ、秀吉の養子だった秀次が後を継ぎ、豊臣政権が持続されたのかもしれません。(注:秀次は秀吉に子供が生まれた為、切腹させられた) |