人物帳-長吏頭・弾左衛門-

弾左衛門 

 歴史の授業では見慣れない名前ですが、これは江戸時代の最初から最後まで、13代続いた全関東の被差別民衆の支配者の名前です。
 この名前も首切り浅こと山田浅右衛門たちと同様に、名前と職業が世襲制となっていました。

 幕府からの呼称は『穢多頭・弾左衛門』でした。
 しかし当人がそれを名乗る事はなく、『長吏頭・弾左衛門』と名乗っていました。これは彼のみならず、穢多の身分に属されていた人々に共通して言えることで、西日本では『かわた』とも言います。
 これは穢多という表現が幕府など、差別する側から押し付けられた表現である為で、当人達にとっては元々は神聖な言葉である『長吏』を名乗った為です。

 この差別問題は13代続いた弾左衛門にとって大きな問題でした。
 被差別の地位にあるとはいえ、弾左衛門は非常に裕福な暮らしをしていました。
 江戸時代の中期までは歌舞伎を支配しており、また幕府からは皮(牛の死体から皮を取る)、灯心(当時の灯り)等の専売の権利や、全関東の被差別民衆の支配権を持っていた為に、その暮らしは一般庶民をも大きく上回る武士階級のもので、財力に関しては大名にも迫る水準だったといわれ、実際にその豊かな財力を利用して金貸し業も営んでいます。
 しかし、そんな彼でもやはり『被支配層』にいるということで、世間から蔑まされた目で見られていました。
 なので歴代の弾左衛門たちは、己の地位に甘んじることなく、被差別階級の待遇改善を求めて政治的な動きを見せていました。
 特に幕府が弱体化していた時代の弾左衛門で、最後の弾左衛門となった13代目の運動には目ざましいものがあったと伝えられています。
 一般の歴史の教科書で勉強する被支配層とは全く毛色の違う弾左衛門。彼の訴え続けてきた被差別層の待遇改善は時代を超え、賞賛に値するものだといえるでしょう。
 

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