江戸時代を代表する作家であり、日本で原稿料のみで生計を成り立たせた最初の作家と呼ばれているのが滝沢馬琴です。ただ、この『滝沢馬琴』という名称は明治以降に使われるようになった名称で、本人が滝沢馬琴と名乗った事はありません。
彼の筆名…現在で言うペンネームは『曲亭馬琴』です。
これは『くるまでまこと』と引っ掛けており、遊女に真剣に入れ込んでしまうどうしようもない男であるという意味が隠されています。
では滝沢がどこから来たのかというと、彼の本名である『滝沢 興邦(後に『解』に改めた)』と、混ざった名称のようです。
彼はそもそも下級武士の子供で、十歳で家督を継ぐものの、仕えていた旗本に愛想を尽かして十五歳で去り、やがて二十四歳の頃に同じく戯作家として有名な山東京伝へ弟子入りしました。
彼の代表作である『南総里見八犬伝』は全98巻、執筆期間も30年近くに及ぶ大作です。
江戸時代初期に取り潰された安房の大名である里見家をモデルとした作品で、時代を室町時代に装う事で、当時の出版規制を逃れ、発表されました。
四十代も後半に差し掛かってから書き始めたので、執筆も終わりに近づいた頃には馬琴の健康状態も余り優れず、片目を失明し、やがて両目の視力を失ってしまいました。
その為に多少読み書きが出来た馬琴の息子(早くに死亡)の嫁の「お路」に少しずつ文字を教えながら後述し、それを記述してもらうという形で南総里見八犬伝は完成しましたが、この時に馬琴の妻であるお百が、二人の関係を勘ぐり、お路へのいじめという事態を引き起こしました。
そうした経緯もあり、馬琴は完成後に大いにお路の功労へ感謝の意を表したそうです。
ところで馬琴は原稿の〆切に律儀な性格で、その為に目を酷使し、後年の失明に繋がったとも言われています。 |