お金の事情-銭貨-

 一般庶民のお金の代表といえば、やはり寛永通宝です。
 後で触れますが、貨幣の間に紐を通して持ち歩いていたりといった貨幣も、銭形平次の親分が投げていた貨幣も、この貨幣です。単位は文、疋、貫がありますが、代表的なのは文です。

 ところでこの銭貨は江戸時代初期まで、それまでの関東の慣わしに従って、中国の通貨である永楽通宝を流用していました。しかし、悪銭などの問題から国産の貨幣が作られ、1636年、家光が将軍をしている時に作られたのが寛永通宝です。

 江戸時代の貨幣の中で最安値の貨幣なので、銭形の親分も安心して投げられたのでしょうが、庶民にとってはなかなか大事なお金である事には違いないです。お金を粗末にしてはいけないという意味合いのほかに、紐で通している銭貨を取って投げてはいけない大きな理由があります。
 紐で銭貨に空いている穴を通しておくのには、一つの意味があるからです。
 「九十六銭」や「省銭」と呼ばれる習慣で、紐に通しておくと百文の貨幣価値を持つものとして通用するのですが、実際には紐を外すと96文分しか銭貨は繋がっておらず、四文を損することになります。
 どうしてこのような風習が出来たのかは諸説様々で特に定まっていませんが、繋いでおけば百文で、紐を解くと値段が下がってしまうという事だけが伝わっています。

 他の貨幣と同様に、数種類の貨幣があり、四文のものや、十文、そして百文のものもありますが、それでも主流は寛永通宝だったそうで、お金が変わることに違和感を覚えるのは現代人も江戸時代の人も変わらなかったようです。
 ちなみに、現在の新聞とも言える瓦版が四文だったそうです。このことから推測して、一文の貨幣価値は数十円程度のものだったと想像されますが、幾らの価値だろうが、お金を投げてはいけません。

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