実は江戸時代にも両替所があります。現在、両替といえば他国への旅行などで行なわれていますが、、江戸時代の場合は国内のお金が変動していました。
同じ江戸で使われているとは言えど、三つの貨幣は種類の違う三つの貨幣という見方が強かったようで、金貨が使いたいとか、銀貨は嫌だから銭貨へ…といった感じで、貨幣の価値が変動しています。
これについて、建前としては幕府が決めた換金率が 存在します。
「金・一両=銀・60匁=銭・4貫(4000文)」
この数字を守る為にある程度は調整が行なわれていたそうなので、それほど大きく換金率が動く事は滅多になかったそうです。
さて、その両替を行なうのが「銭屋」と呼ばれたもので、両替の手数料として切賃というものを取って商売にしていたそうで、江戸にもかなりの数があり、その数が制限されるほどだったそうです。
「銭屋」の内で、金貸しを行なっているものを「本両替」と呼んでたそうです。金を貸す類の物は既にこの時代には完備されていたようですが、この本両替というのは一般町民は利用していなかったようで、やはり定番の質屋が登場します。
質屋についてはむしろこの時代のほうが良かったのではないかと思える節があります。
まず、質屋は登録制で江戸町奉行所がきちんと管理を行なっていたとされています。また、きちんと質屋の組合も完備されているので、よっぽど悪徳のところにでも行かない限りは、安全にお金の工面が出来るようになっています。
この他には盲目者に特権として金貸し業が許されていたことから、座頭金もありましたが…こちらはどうもいわゆる悪徳業者が多い事で知られていたようで、組合のようなものもあったようですが、お互いを戒めて健全な商売を奨励するというよりは、金の取立ての為に協力し合う間柄だったようだとされています。
いつの時代でも、人様のお金を借りるというのは恐ろしいものです。
ちなみに、この両替・金貸しの中からは後に「財閥」として日本経済を牽引する事になる業者も複数出現しています。 |