江戸時代の悪所の「芝居町」ともう一つが「吉原」でした。現在で言う風俗産業に当たり、性的サービスを受けるための施設が集中している町の事を呼びます。
ところで芝居町の場合もそうでしたが、吉原も幕府公認です。
贅沢を嫌った江戸幕府が何故、このような施設を認めるに至ったのかというと、これは現在の事情と余り変わらず、そうした要求の放出先を確保しておくことで風紀を守るためです。管理できない場所や性犯罪として氾濫されるよりは、手中で管理しておく方が便利が良いのです。
同様の行為が行われていて、幕府に公認されていない場所の事を「岡場所」と呼びます。
江戸において「吉原」が指す場所は厳密には二箇所あります。それは吉原が一度だけ移転しているからです。そもそもは日本橋吹屋町近辺にある「葦(よし)の茂る原っぱ」の辺りに設置されており、それが転じて「吉原」となったと言われています。
しかし江戸の大藩を焼き払った1657年の明暦の大火の影響を受けて、吉原は江戸の中心部外であった日本橋から離され、浅草の北部へ移転されることになりました。吉原の事を「北里」と呼ぶのはその為です。
移転前の吉原を「元吉原」、移転後の吉原を「新吉原」と呼びます。
ところで吉原というのは幕府公認だけに、遊女の質も高めだったそうです。
男達はそこへ向かうのに最大限を見栄を張って、猪牙船と呼ばれる船や、籠を使って馳せ参じました。
吉原という空間は身分制度の存在しない空間としても知られており、一旦大門から中に入れば男女も皆平等であり、籠を使って町の中を移動することが許されたのは急を要することのある医者のみに限られていました。 |