江戸を見た西洋の方が「東洋のベニス」と形容した事は良く知られています。
それだけ江戸の町を縦横無尽に水路が走っていたということです。その為、生活の中における水路の存在も大きく、交通手段としても利用されていました。
江戸の中を動いていくのには船は非常に便利な交通手段であるので、貨物運搬としても用いられました。時代劇で泥棒が金持ちの家に忍び込んだり、脱出するのに、家の入り口のすぐ傍に水路があって、そこへ船を用いる…というシーンは度々見られます。
これは裕福な商人達が人工の水路である「掘割」を自らの家のすぐ傍ま引っ張って来ているのです。船が横付けできて便利…という、なんとも贅沢な事です。
ところで船は庶民も良く使います。ただし、その規模は非常に小さなもので、例えば「渡し舟」があります。これは大きな川になると橋の数が足りない状況が生まれる為に、それを補うために対岸まで船で運ぶのです。
どうして橋が足りないのかというのと、それは財政的な問題です。
江戸幕府としては大きな川に掛ける橋は費用もかかる上に、氾濫してすぐに橋が大破してしまう危険性も高い。また、余り川を増やすと、有事の際に管理に困るという立場から、架橋事業を余り積極的に行なわなかった事がいえます。
また、作っても橋の管理は町民に任せていたようです。その為に一部の橋では通行料を取って、管理費を賄っていました。ただ、数年に一度は川の氾濫による被害を受けていたという記録もあるように、かなり橋の状態というのは劣悪だったようで、人の重みに耐え切れずに橋が崩れるという事故も発生しています。
万事がこんな調子なので、橋を増やすためには町民が金を出して橋を作らなければならないけれど、さすがにそこまでの余裕は町民にもないので、渡し舟が橋の代わりに人を運んでいたわけで、渡し舟の料金も橋の通行料も変わりはありません。
もう一つ人々が現在のタクシーくらいの感覚で使っていたのが猪牙船です。二〜三人乗りの小さな船で、船頭が長い棹を持って船を操作していました。庶民がこの猪牙船を利用する時に良く行っていたのが、性風俗の店がある辺りでした。
いわゆる男の見栄というやつでしょうか、そういう場所へ赴く時には有料の交通手段を用いる事が多かったようです。そういう際に多用されるので、そういう場所周辺(吉原、深河等)へ船宿が設置されていました。
ところで、船を用いる娯楽といえば、花火があります。花火を屋根付の船から見上げる。日本人が今でも好きなシチュエーションなのでは無いでしょうか。 |