江戸で「悪所」と呼ばれ、そして「一日に千両の金が動く場所」と呼ばれた場所は二つあり、ひとつは「吉原」でもうひとつが今回のテーマである「芝居町」でした。
芝居町というのはそもそも幕府公認の劇場であった江戸三座の周辺に発展した町のことです。江戸三座というのは八代将軍以後、芝居の公演について名代と呼ばれる興行権許可証を永久に許可された大劇場のことで、江戸時代に公演を常に続けることが許されていのが、三座と呼ばれる三つの劇場でした。
芝居町というのはその三座の人気にあやかろうと町奉行所で興行の許可を取得して、周辺で芝居を行なったり、そうした客を目当てに様々な種類の店舗が集中していたのでそのように呼ばれるようになりました。
町中は年中がお祭騒ぎで、大劇場の芝居の為に盛り上がっていたそうです。というのも、芝居町は大劇場の芝居の人気にあやかって、それぞれの店が客を得ていたという事情があるので、芝居町全体が大劇場を盛り立てる必要があったからです。
その中でも最も大劇場と結びつきが強かったのが「芝居茶屋」と呼ばれる茶屋で、芝居を見に来る人々が前日から宿泊したり、芝居と芝居の合間に休憩や食事をするための施設で、大劇場の芝居の予約業務も行なっていました。
また、役者の錦絵などのお土産の類も多く売られていましたし、三味線のような芝居に関するものや、一般の客の食事を担う各種外食産業も盛んに行なわれていました。驚くべき事には町の隅では男女の風俗産業もあったそうで、まさに華やかなものが一箇所へ集中した町でした。
芝居町で大劇場には、役者の旗が掲げられ、所狭しと芝居名と役者名を書いた看板を敷き詰めてある…という、現在でも見られる光景に付け加えて木戸芸者と呼ばれる芝居の内容や配役を宣伝する人物や、それで興味を持ったお客を呼び込む役割を持つ人がにぎやかにしていました。
街中に提灯がかかり、音楽が鳴り響いていたそうで、ただその町を練り歩くだけでも楽しめるような町だったそうです。この芝居町が「悪所」と呼ばれていたのも、贅沢を嫌う徳川幕府がその華やかさを嫌ったからでした。 |