驚くべき事に、江戸時代にも『車』を規制する法律がありました。…とは言っても、その車とは主に『大八車』などです。
江戸は当初考えていたよりも遥かに巨大な都市に成長し、また庶民にも生活のゆとりが出来た為に、非常に大量の物資が行き交うようになりました。
当初は物資の運搬は水路だけで補えるはずでしたが、それだけには収まらず、陸上で大八車などが走り回るようになったのです。
本来は想定されていなかった道に、車が通るようになった為に、道幅の狭かった江戸の街の交通のバランスが崩れてしまいました。
これは現在の交通事情と同様で、迷惑駐車が往来の迷惑になったり、交通事故が多発するなどの問題が発生しました。
そこで幕府も路上駐車を取り締まり、更には現在で言うところの雇用者責任を問うといった斬新なアイディアで規制をしましたが、なかなか効果が上がらなかったので、更に踏み込んだ交通ルールが出来ました。
1916年に出されたルールによると、事故を起こした場合、その事故が過失などによるものであったとしても、流罪もしくは死罪にするという非常に重い刑罰が課されました。
(注・1916年のルールには、車以外に船も含まれる)
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