木戸

 江戸の町には木戸という物がありました。
 これは警備の為のものでそれぞれの町境…つまり町の出入り口ごとに設置されていました。
 夜の間に自由に人が出入りすると、治安の悪化を招くので、その人の出入りを規制する為のもので、医者や助産士といった時間を選べない職業の人以外は通れないようにしてありました。
 閉めるのは夜十時ごろ。管理は木戸のすぐ傍に小屋を構える「番太」等という愛称で呼ばれる人々が行なっていました。この番太という職業は江戸の警護に当たる重職のようにも思われるのですが、大体その職業についていたのはごく普通の人で、重職どころか他に何も出来ないような人がやる職業だと揶揄されるような事もあったようです。
 地方出身の人が小銭を稼ぎに来たという話も残っています。

 しかし夜十時に閉めきって、それで治安が保たれて完璧である…というのであれば良いのですが、やはり江戸の人々も生活を営む以上、なかなか上手くいくものではないので、時間が過ぎた後でも通れるように潜り戸と呼ばれるものが用意されており、一般人であれば番太の人に一声をかけ、前述の医者や助産士であれば黙って通り抜ける事も構わなかったそうです。
 このようにその管理の内情はかなりルーズだったようです。
 給料が安かった為に、副業として様々な日用品から食べ物まで様々に販売しており、なかなか流行っていたそうで、番太の職業に就いていた人には地域に愛されている人が多かったと言われます。

 ただ、実際の「木戸(実際に閉める戸)」がいつまであったのかは定かではありません。江戸の後期の町並みを描いた絵からは「木戸」が消えている場合も多く、番太が一応管理だけはしていたような状態になっていたのではないかという説も強いです。
 実際、1702年の忠臣蔵では47人の浪士が通り抜けていくのに木戸が全く警備としての役割を果たしていなかったという事実も残されており、木戸の存在の有無はとにかくとして、システムとしての木戸は早い段階から形骸化していたのかもしれません。

 その他の木戸として、長屋ごとに木戸が設置されていて、こちらの管理は大家が行ないました。また江戸城下町にも設置されており、コチラは規模の大きさから大木戸と呼ばれました。

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