歌舞伎で演じられている演物の中には事実に基づくものも数多く含まれていました。
少し突飛な表現をすれば、歌舞伎というものが江戸時代におけるテレビメディアにおけるドラマであると同時にニュースのようなものであったともいえます。
歌舞伎で演じられた実在の出来事がモデルになっている内容というのは、江戸に限られているわけではなくよその藩…例えば大阪などの事件も多く、人々が各地の出来事を知るきっかけにも繋がっていました。
その中でも多かった実在のモデルがあった作品として武家社会を描いたものと、心中等の悲恋を描いたものが上げられます。ただし、心中物は人々へ与える影響が強く、実際の心中の増加という社会問題を引き起こした為に最盛期にその姿を消す事になってしまい、八代将軍以降は禁止され、結局徳川幕府が崩壊するまでの間に心中物が公に演じられる事はありませんでした。
また、武家社会を描く時には細心の注意が必要でした。
武家社会を描くと、お家騒動や忠臣蔵などに代表されるような、政府へ対する反感のような内容を含む事も多い為に、出来事をそのまま演じてしまうと、幕府に反逆として捉えられる危険性があるからです。
その為、事件の起こった時期をずっと過去の事であるとして上演したり、登場人物の名前や、事件が発生するまでの経緯を少し変えてみたり…という事によって、「根底にある事件」を匂わせながら、「全く別個の娯楽作品」として上演しました。
例えば赤穂の浪士が集って吉良上野介宅へ討ち入るという事件では「仮名手本忠臣蔵」というタイトルで「大星由良助」が「高師直」への復讐を果たす「南北朝時代」の事件という事になっています。
正式には「大石内蔵助」が「吉良上野介」宅へ討ち入る「四代将軍綱吉時代」の事件です。こういった感じで、少しずつずらしながら演じる事によって、幕府からの規制を逃れつつ、実際に起きた事件はこのようなものだったらしいという概ねの内容を伝えていました。
悲恋を描く場合にも、意外と事実には忠実ではありません。これは台本を書く人が自らの力の見せ所として脚色したことや、それほど正確なニュースが存在する時代ではないので、噂に様々なヒレがついた結果、事実からずれてしまったという事も考えられますが、全体的に実際の事件よりもドラマティックに演出されています。
それは当時の人々の趣向だったのかもしれません。歌舞伎で演じられていたものというのは、江戸時代に実際に起きた事件を数多く伝えると同時に、当時の人々がどういった物語や展開を好んでいたのかという、「感情」をも伝えているといえます。 |