江戸時代を代表する娯楽の一つとしてどうしても外せないのが「歌舞伎」です。
現在では伝統芸能の一つとして、一般人には少し敷居の高いように感じられますが、そもそも歌舞伎というのは「傾く(かぶく)」という言葉から来ているように、奇抜な内容で流行の最先端にあるようなものでした。
そもそもの起源は江戸時代が始まる少し前だと言われています。「出雲の阿国」という人物の名前を聞いたことがある人もいると思いますが、阿国がはじめたのが歌舞伎の起源です。
ただ、この阿国という人物に関しては謎が多く、正確な事は余りわかっていません。
阿国の始めた歌舞伎というのは、奇抜なファッションで踊るという内容でした。それを次第に芸者や遊女が真似るようになっていった…という事がその後の歌舞伎の隆盛につながって行きます。阿国とは違い経済力のあるこうした歌舞伎(通称、女歌舞伎)は華やかさで、更に人気を集めました。
ちなみに阿国はこの頃に忽然と江戸から姿を消しています。一説には経済力で華やかさに勝てないことや、舞台の内容のマンネリ化によって集客力が落ちてきたので全国を漫遊しに行ったといわれています。この行動が阿国の正体をぼかしてしまっているようです。
さて、女歌舞伎が全盛を極める最中に横槍が入ります。贅沢禁止が江戸時代を通しての徳川幕府のモットーであった為に、女達が奇抜な衣装で艶やかに踊るという事が許されなかったからです。ここで、現在に至るまで女性が歌舞伎の舞台から消えることになります。
そしてそこで女でなければ良いのだろう、という事で登場するのが少年のように前髪を剃っていない男が演じる「若衆歌舞伎」というものです。余り歴史の授業では触れませんが、中世の時代では世界で共通して「男色」というものが尊ばれている傾向があります。
若衆歌舞伎というのも、その男色の狙いを持っていたわけですが、それでは根本的なところで女歌舞伎と違いが無いので、これもやがて幕府によって禁じられます。
最終的に歌舞伎を続ける上で出された条件が幾つかあり、前髪を剃り落とした…つまり、大人の男が、踊りではなく演技(物真似狂言)をするという事でした。これが現在の歌舞伎の原点となりました。
その歌舞伎を演じる場所ですが、座ってみることから「○△座」という名前がつけられていました。その中でも代表的なものが「江戸三座」と呼ばれる場所で、中村座、市村座、森田座の三つです。
経済的余裕のある人は芝居茶屋を経由して観ました。芝居茶屋というのは、歌舞伎が防災の為に夜の公園を差し控えていた為に、早朝から始まるので前日から泊まっておく施設で、席の予約も出来るようになっている公演場の同時運営です。
こうした芝居茶屋を通すと、現在の貨幣価値で十万円は飲食代を含めるとすぐに消えてしまうのですが、それ以外にも様々な価格の席があり、それぞれの経済状態に合わせて観劇できるようになっていました。
価格は一律ではなく、内容などによって左右されるのですが、立見席であれば現在の貨幣価値で言うところのワンコイン(500円)ぐらいで見る事もで来たという事で、庶民の芝居好きな人でも充分に見られたそうです。 |