八百八町

 江戸の町にたくさんの人がいた様子を物語る言葉として八百八町という言葉があります。
 この言葉を見て、「あぁ、たくさんの町があったんだなぁ」と実感した人や「大げさなんじゃないの?」と感じた人もいるでしょう。しかし、この言葉は実は実際の江戸の町の状態を指している言葉ではありません。
 「八」という文字には、数え切れないほど沢山のものがあるという意味が含まれています。他にも沢山の野菜を扱っている「八百屋」、沢山の種類の野菜が入っている「八宝菜」、沢山の神がいるという意味の「八百万の神」という言葉がありますが、八百八町という言葉も沢山の町があったという事を指しています。

 ただ、江戸時代には実際に八百八の町があった時期もありますが、ほんの一時期です。

 江戸の町が文字通りの八百八町になったのは、江戸幕府が開いて五十五年ほどが過ぎた頃だと言われています。幕府が始まった頃が約三百町ほどだったと言われているので、猛烈な勢いで膨れ上がっていったといえるでしょう。
 町の数はこの後も順調に伸び続け、江戸時代後期には八百八町どころか、その倍以上の数の町が存在しました。徳川家康が最初に入った江戸はほとんど人も住んでいない荒れ果てた地だったといいます。
 それが二百六十年余で当時の世界最大の人口を誇る大都市になったのですから、今更ながら徳川家康の政治的手腕の凄さを思い知りますね。

戻る